June 21, 2007

朝日ソノラマの終焉ともろもろの昔語り

[朝日ソノラマ/当社は9月で店仕舞いします ネタ元/はてブ]
[It media news/朝日ソノラマ、9月に営業停止 「時代の流れに抗し切れず」 ネタ元/はてブ]

ソノラマ文庫は創刊が1975年。わたしが初めてソノラマ文庫を認識したのは富野御大のガンダムノベライズから。これが1982年前半の話(本そのものは1979年頃にもう出ていた)。正月明けて間もない、上大岡のブックセンターで三冊まとめ買いしたのがソノラマとの馴れ初め。緑の背表紙に「機動戦士ガンダム」のタイトルと、上部に[SF]のジャンル表示。あのころはまだ文庫本も安くて300円台だったけど、月の小遣いが1,000円だった当時のわたしとしてはかなりの冒険であった筈。既に立派なガンダムオタクであった自分は貪るように何度も読んだわけだけど、小学校を出たばかりのいたいけな少年にとって、アムロとセイラさんのベッドシーンはあまりに衝撃だった。こ、これがSFか!(違

続いて出たイデオンやザブングルのノベライズを読みふけり、そしてこの年の12月に『クラッシャージョウ 連帯惑星ピザンの罠』に出会う。クラジョウはこの時既にソノラマの看板シリーズで六巻目までが世に出ていた。アニヲタの揺籃期にあったわたしだが、読書面では保守的、というか図書室の**文学全集読破に精を出していた頃だったので、「絵のついた小説」には正直惹かれるモノが少なかった。それでもクラジョウにあっさりはまってしまったのは、イラストが安彦良和だったからなのだろう。乏しい小遣いをやりくりしてクラジョウ全七巻(そのころ七冊目の『美しき魔王』が出た)を揃え終わったのは1983年の春あたり。

この後、平井和正、続いて新井素子にハマりしばらくソノラマからは遠ざかる。1984年〜1985年はコバルト文庫に耽溺していた時代だった。次なるソノラマとの出会いは1986年。クラブの某先輩から借りた天野喜孝表紙絵の「キマイラ吼」@夢枕獏であった。これも当時既に5〜6冊は出ていた筈。エロいシーンにかなりドキドキした記憶がある。って、記憶に残ってるのはそんなのバッカリなのかよ。コバルトにハマり乙女脳になりかけていた自分にはけっこうなインパクトだった。

そして翌1987年に「ARIEL」@笹本祐一が登場する。が、実は「ARIEL」は三巻まで買って挫折。笹本祐一は個人的にあまりしっくりこなかったのだ。この翌年『ロードス島戦記』@水野良が登場し空前のブームが始まる。ここいらがかなり重要なターニングポイント。少年向け絵つき小説(まだこの頃はライトノベルって呼称は流通してなかった)のトップレーベルとしての地位を完全にスニーカーに奪われてしまった感がある。

その後、富士見の黄金期に入り、X文庫のホワイトハートにハマり(小野不由美)、この手の小説を読むことは日常化したものの、ソノラマを手に取る機会はぐっと減った。この頃、リアルタイムで追えていたのは菅浩江の初期作品や、大原まり子の『エイリアン刑事』くらいだろうか。「ARIEL」以降大きなヒット作に恵まれなかったのは大きい。ガンガン資本投下して、アニメ作ってプロモーションしてくる角川系の体力には抗すべくもなかったのか。

90年代前半から2000年代にかけてパンプキン文庫。ソノラマ新書。ソノラマ文庫ネクスト。ソノラマノベルズと枝レーベルを乱発するも何れも短命に終わる。90年代後半からは電撃文庫という新たな強敵も登場し、更に印象が薄くなってしまった。だいたい最近はめっきり小説の新刊も出なくなっていて、メインの商材はコミックスに移っていたようだ。ソノラマノベルズで旧作の焼き直しを始めた頃から、ちょっとこれは拙いんじゃないかと思っていたけど、よもや営業停止の判断をする状態にまで追い込まれていたとは想像を超えていた。

結局購入したり、借りて読んだりしたソノラマ系の作品は50冊程度。レーベルの歴史の長さを考えるとけっこう寂しい数字だ。わたしの読書歴の中で、ライトノベルの入口は間違いなくソノラマ文庫だったから、栄枯盛衰は世の常とはいえこの結末はとても残念。出版権を引き継ぐ朝日新聞社出版本部は、果たして陰の薄い小説の方までケアしてくれるのだろうか。

投稿者 nununi : June 21, 2007 09:08 PM
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