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目覚める(7:00)。イーハトーブの朝は夏でもひんやりと涼しい。このYHは農家の方が経営しているらしく、食事は野菜から乳製品まですべて自家製なのだ。ありがたく頂きつつも、バスの時間が迫っているのでゆっくりもしていられない。食後慌ただしく出発(7:40)。昨晩あれだけ遠く感じられた道のりも日中歩いてみればなんてことは無い。周囲がは農地なので先がずっと見通せてしまう。しばらく歩くと札長根のバス停(8:00)。早く着き過ぎた。
定刻より数分遅れてバス到着(8:07)。本日は遠野観光がメインなのだが、釜石線に丁度いい列車が無く、午前中は花巻観光をすることにする。花巻駅到着(8:20)。花巻は昨年一度訪れているので大雑把な土地勘はあるつもり。花巻の観光拠点はそれぞれ距離があり徒歩旅行者にはつらい。というわけで、駅から徒歩5分のまるろく(コンビニ兼レンタル自転車屋)でレンタサイクルを借りることにする。 |
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次の列車の時刻を考えると花巻には2時間程しかいられない。ってことで、昨年行けなかった羅須地人協会を訪ねることにする。国道4号をママチャリで疾走。でも、けっこう距離がある。花巻空港を端から端まで走りきったあたりで右折。トンネルをくぐったところで左折。右手に花巻農業高校が見えてくる。目指す場所はこの校内にあるのだ。少し躊躇ったがそのまま校内へ侵入。更に百メートル先を右折すると羅須地人協会である。というか、協会運営当時に宮沢賢治が住んでいた住居を移設したもの。質素だが趣きのある建物である。伝言板の『下ノ畑ニ居リマス 賢治』が宮沢賢治フリークの魂を熱くさせていることは間違い無いだろう。
あとはひたすら戻るだけなのだが、帰り道なのでイギリス海岸に立ち寄ってみる。イギリス海岸とは北上川流域花巻近辺の擬灰岩で形成された河岸が、イギリスのドーバー海峡付近の沿岸部に似ているということで賢治が名付けたもの。しかしご護岸工事中。完膚無きまでに風情無し。培ってきた美しいイメージが崩れていくのでした。 |
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| 打ちひしがれつつも釜石線に乗車(10:34)。遠野までは約一時間の旅。釜石線の各駅は本来の駅名の他にエスペラント語の駅名が付けられている。たとえば遠野は「フォルクローロ」。東北の山中を走りながら駅名をエスペラント語で読み上げられるのはなんとも居心地が悪い。そうこうしているうちに遠野駅到着(11:37)。多少標高が高いこともあるのだろう。よく晴れているが湿度が低く爽やかだ。
遠野でも自転車観光が推奨されているらしく駅前には何件かレンタサイクルの店がある。無事ママチャリをゲットすると、まずは遠野市立博物館へ行くことにする。遠野の予習には最適の場所だろう。駅からも徒歩10分弱。自転車なら5分かからない。 博物館では特別展として「オシラ神の発見」を開催中。遠野最大の衝撃はこのオシラサマであった。オシラサマとは30センチ程の桑や竹の棒に布を被せた男女二体一対のカミで東北地方一帯に広く分布している。あるものは男女や馬の頭を持ち、またあるものは頭部が布に覆われている。地域や家によってそのパターンはさまざまだが、昔は遠野のどの家にも必ず祀られていたのだという。 東北各地から集められた様々な意匠のオシラサマの数々。毎年布を被せていくというのがミソで、年月を経たオシラサマは何重もの布に覆いつくされ肥大化、異様な迫力を醸し出している。 しかし本来あるべき場所を追われ、こんなところに曝されているのはなんとも哀しいものがありますね。 |
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むかしむかしの話。妻に先立たれた農夫には美しい娘がいた。その家では一頭の馬を飼っていた。娘は幼い頃からこの馬によくなつき、片時も離れることがなかった。しかし成長した娘はこの馬と夫婦の契りを交わしてしまう。怒った農夫はこの馬を連れ出すと山中で殺害してしまう。嘆き悲しんだ娘は馬のなきがら一緒にそのまま天に昇っていったという。そして優しい娘は残された父親の生活が立ちゆくように数個の繭を残していった。これが養蚕の始まりなのだそうだ。 よくある類の異種婚礼譚に突っ込み入れてもしょうがないのは判るんだけどさ、おやじ怒って当たり前だよなあ。 |
| 続いていきなり山口集落の水車小屋を目指すことにする。10キロ以上も延々とペダルを踏むことになる。10分も走ると市街地を抜け出し、あたりはのどかな田園風景へと変わる。遠野は石碑の類が豊富に残っていることで知られる街で、路傍には様々な碑を見ることができる。道標や庚申塔、馬頭観音、その他様々な供養塔がそこかしこに立ち並ぶ。半ば朽ち果てた物、大きく傾いたもの、未だ手間暇かけて保存されてきているものなど、それぞれ状態は様々だ。
遠い(疲)。小烏瀬川沿いの道をひいこらいいながら走り抜けていく。なんだかきついと思ったら軽い登りになっているようだ。三段変速のママチャリでは厳しいよなあ。いつも思うのだが、観光地のレンタサイクルはスポーツ仕様のタイプをもっと増やしてもええんじゃないだろうか。なんて思ってるうちに反対車線をポリッシュのBD-1(うちのチャリの同型機)の光り輝く車体が駆け抜けていく。やはり格好いいぞ。自転車持ってくれば良かったかなと少し後悔。 |
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始めは二車線だった道も進むうちにどんどん幅員が狭くなってくる。ここで山口集落への分岐点がある。一気に傾斜が厳しくなっている。根性なしのわたしは何のためらいもなく降りて押して歩くことにする。ここまで来ると長閑さは感動的なレベルにまで達しており、周囲のへちま棚やとうもろこし畑、牛舎、朽ちかけた納屋、いい感じの民家などが目をなごませてくれるのだ。
遠野物語を柳田国男に語ってきかせた佐々木喜善の生家もここにある。今でも佐々木家の方が住んでいるらしい。観光客らしい車両に次々と抜かされていくわたし。いい加減押して歩くのも疲れ果ててきた頃ようやく水車小屋が見えてくる。まるで観光化されていないナイスな水車小屋である。蝉時雨と水車の回転音が心地好く混ざりあっていた。 水車小屋を後にして、これまでの鬱憤をはらすかのように爽快にダウンヒルしてみる。メチャクチャ快適。次に目指すはデンデラノである。かつての遠野村では60歳に達すると非生産者としてこの地に放棄され、寿命が尽きるまで自給自足の生活を強いられたのだという。明治初期まで続いたらしいこの風習だが、いまとなっては何も無い草原が広がっているだけだった。 |
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デンデラノを後にして更に道を下っていく。行きに使った県道340号は使わず、ショートカットルートを採る。民家がぽつんぽつんと点在しているなだらかな起伏が続く道で、人間どころか車にすらすれ違うことが無かった。最初からこのルートを使っていれば良かった。
再び県道340号に合流し2キロ程先を左折。ホップの畑をくぐりぬけると常堅寺に到着する。山門の仁王像は江戸時代慈覚大師の作と言われており、明治の神仏分離に伴い早地峰神社から移されたもの。また本堂にオビンズル様と呼ばれている木像が安置されている。なでた場所の傷みを取り除いてくれるのだそうだ。 |
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この寺はカッパ伝説で知られている。山門を入って左手に頭頂部がへこんだカッパ狛犬が鎮座している(神仏分離したんじゃないのか?)。かつて寺の火事に際してカッパが鎮火に助勢したことから祀られるようになったらしい。
境内を奥に進むと左手に小さな川が流れている。ここがカッパが潜むと言われるカッパ淵。清らかな水面だが、ふっと引き込まれそうな暗い流れである。あたりは観光客だらけだったが、回りに誰もいなかったらかなり怖かったかも。 |
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ラストは遠野伝承園。曲り家と呼ばれるこの地方独特の民家がそのまま保存されている。当然中に入ることが出来るのだが、みしみし音を立てる床板、燻しあげられた黒い天井、独特の臭気、昼なお暗い薄気味悪さとあいまってなんともいえない妖しげな雰囲気を醸し出している。そして最大の恐怖オシラサマの部屋である。前述したオシラサマが全ての壁面に所狭しと並べられているのだ。薄暗い室内に色とりどりの何百対ものオシラサマ。こわいぞこれは。
恐怖の伝承館を後にしたわたし。これで当面の観光予定は全て回ったことになる。次の列車までは40分ほど時間があるが体力的にも余力がなさげなので、駅傍のスーパーで栄養補給。こういう街でも大型スーパーの進出は避けられないらしい。風情は無いけどやっぱり便利だ。釜石線にて帰路につく(17:26)。本日のお宿は北上である。帰りの列車は学生やら観光客やらで座るのがやっと。自転車をこぎつかれた適度な疲労感もあって、どっと睡魔が押し寄せてくる。花巻で乗り換え。北上(18:56)に着くころには夏の日も暮れようとしていた。 |
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オシラ神に支配される街遠野ではそこかしこにオシラサマを模したベンチが設置されているのだ。道の反対側にも見えるね。由来を知る前は微笑ましかったけど、いまとなっては怖い。 蛇足6 『良い繭つくりの上蔟管理表』 別に面白くもなんともないんだけど、民家の壁に貼ってあったのでついつい撮影。このあたりは養蚕が盛んだったわけですね。「火の用心」がいい味出してます。 |
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