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2001/08/15 act-10 松山市街 |
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| 起床(7:30)。ゲホゲホ。結局体調の悪さは相変わらず。これ治らないのかやっぱり。激しくガッカリだ。それでも観光しないわけにはいかないので(義務かよ)、身支度を整えてチェックアウト。今夜の宿も松山なのだが、同じ所に連泊するのも味気ないと思って、別の所にしちゃったんだよね。こう体調悪いと少しでも荷物減らしたいので、やっぱり同じ部屋にしておけばよかったよ。
さて、気怠いカラダを引きずってまずは松山城へ向かおう。なにもこんなにしてくれなくてもってくらい今回の旅行は天候に恵まれ、本日も松山の空はド快晴。朝っぱらからもの凄い日差し。あ、なんだか目眩が……。外堀に沿ってロープウェイ乗り場へと向かう。乗り場までは1キロくらいあるので、市電に乗ればいいのに、わざわざ歩いてしまう辺りが筆者の意味不明なところである。松山城周辺には愛媛県の官庁街となっていて、県庁を始め、県議会議事堂、裁判所は博物館などが密集している。 |
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| 東急インと三越の間の道を抜けると左手がロープウェイ街。ここいら辺まで来ると徐々に観光地的な趣に街の雰囲気が変わってきている。松山城は平山城なので、天守閣は山の上にある。普段だったら問答無用で歩いて登るところだが、既に体力損耗気味の筆者は軟弱にもリフトで登らせてもらうことにする(往復/\1,000)。高っ。 ここではロープウェイかリフトかを選ぶことが出来るのだが、楽しそうなのでリフトで登ることにした。しかし文明の力って素晴らしい。ものの数分で山頂へ。少しだけ登ると天守閣である。松山城は加藤嘉明によって1627年に築かれた平山城で、後に蒲生家、松平家と主が変わり幕末に至る。天守閣は小天守が連結されている連立式。現在の天守閣は1854年に落雷による焼失から再建されており、江戸期で一番最後に建造されたもの。 |
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| このクソ暑い最中でも観光客で中はぎっしり。この手の建造物特有の狭くて急な階段が病人にツライ。体力ゲージが目に見えて減っていくのを実感。リフトを降りてしばらくの間休憩所で呼吸を整える。こんなんで大丈夫か>自分。咳の止まらなさ加減は我ながら相当にヤバイ気がする。本当はこの後子規堂(正岡子規の記念館)まで足を伸ばすつもりだったのだが、予定変更。このままでは行き倒れの可能性も無いとは言えない。
出来るだけ消耗は避けたいので、こういうときに便利な美術館巡りにコースを切り替えることにする。まずは近場にある晩翠荘(\100)へ。ここは愛媛県美術館の分館で郷土美術館となっているのだが、元々は旧松山藩主の久松定謨によって建造されたフランス式の洋館なのだ。地下一階、地上三階の堂々たるもので、愛媛県の有形文化財に指定されている。主として地元の美術家の作品を展示。内部は冷房がガンガン効いており、別の意味で死にそうに……。 外堀沿いにもと来た道を戻るような形で進んでいくと右手に見える近代的な建築物が愛媛県近代美術館(\500)。よろよろしながら中に入る。もう本格的にカラダが保ちそうにないので、ソファで画集をパラパラめくりながら朦朧としてみる。絵も見たはずなんだけど、全く記憶に無し。何しに来たんだおい。気がつくと昼を過ぎていた。 |
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| わざわざ松山まで来て昼から寝てるなんて不甲斐ない……。自己嫌悪に陥りつつも腹は減る。食欲があるだけマシということか。松山きっての繁華街である銀天街と大街道を徘徊して昼食を済ませる。しかし四国有数の大都市のわりには人通りが少ないような。って、思っていたら、テレビの前に人だかりを発見。何を見ているのかと思ったら、地元の松山商業が甲子園に出ているのだ。人が少ないのはそのためか?
古本屋やら喫茶店で時間を潰し(観光地での贅沢な時間の使い方)、ようやく宿のチェックインの時間となったのでホテルへと向かう。今度の宿は大街道のど真ん中。最初からこっちに泊まってれば良かった。 |
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体調最悪ながらも夕方からは道後温泉に行ってみるぞ。
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