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| 起床(7:00)。6日目くらいはまでは全く気にならないのだが、さすがに旅行も7日目に入ると飽きが出てくる。そろそろ帰るかという気になるのはだいたい7日を過ぎてからだ。青森の朝は早い(嘘)。ホテルをチェックアウト。展開するのが面倒くさいので折り畳み状態の自転車をゴロゴロと頃がして駅へ向かう。
青森駅着。本日の予定は各駅でだらだらと東北本線を南下。盛岡まで向かう。2002年12月からの新幹線の八戸延通により、青森-盛岡間は第3セクター化されてしまいJR路線では無くなってしまう。3セク化前に是非乗車してみたかった区間なのだ。青森駅発(7:47)。青森ではまともに太陽を見ることはなかった。本日もどんよりとした冴えない天気。まあ、涼しくていいんだけど。
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盛岡駅
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開運橋
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北上川
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八戸着(9:30)。この駅には二年前にも来ているのだが、そのあまりの変貌ぶりに愕然とさせられる。八戸駅がこんなにキラキラした駅になってしまうとは。畏るべし>新幹線。ここで乗り換え(9:48)。車内は18切符な人々を満載。座るどころの状況ではない。「何こんなでかい荷物載せてるんだよ」的な視線が突き刺さり、自転車載せてる筆者としては非常に肩身が狭い。盛岡までの2時間はやたらに長く感じられた。立ちながら無理矢理寝てたけど。
盛岡着(11:31)。さすがに東京まで18切符で帰るにはもはや気力も体力も無いため、ラストは新幹線を奮発。夕方の列車(17:26)で東京に帰るのでそれまでの6時間を盛岡観光に使う。岩手県が大好きな筆者はもう五年連続で盛岡には来ているはずなのだが、早池峰山や八幡平に登ったり、遠野や花巻観光の拠点にしたりと、不思議と盛岡市内を観光したことはなかった。
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櫻山神社
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烏帽子岩
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南部稲荷社
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| 開運橋を渡り北上川を越える。渡った直後の分岐を右へ。真っ直ぐ進んでいくとほどなく右手に盛岡城址(岩手公園)が見えてくる。奥に見えるのが櫻山神社。ひとまずはこちらに参拝しておくことにする。この神社は盛岡の藩主であった南部家の藩主たちを祀ったもの。二十六代信直の神霊を勧請したのが始まり。
右横にある赤い手すりの石段を登っていくとおにぎり型の巨石がある。これは宝大石・烏帽子岩(別名兜岩)。にわかに湘南の香りが漂う(嘘)。これは盛岡城築城時に掘り出されたもので神域から出てきたこともあり、神聖な石として崇拝され、疫病や災害が発生した際にはこの前で神事が執り行われたとされている。でかい。高さ5メートルはあるだろうか。鈍い光沢を放つ表面が威圧感を放っている。ちなみに烏帽子岩の横に鎮座している小祠が南部稲荷社。
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史蹟盛岡城
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| 櫻山神社の参拝を終えたので盛岡城址に向かうことにする。史蹟盛岡城址と刻まれた石柱を右手に緩い坂を上っていく。城跡ではありがちな話だが内部は公園として解放されている。盛岡城(別名不来方城)は南部家26代信直により1598年に築かれた。南部藩20万石の居城。天守閣は現存していないが見事な御影石の石垣が今なお残る。
三の丸跡、二の丸跡と登っていって本丸跡に到着。思っていたほど規模は大きくない。裏手を流れている中津川がよく見える。本丸跡には謎の台座が据えられているが、これは日露戦争で戦死した南部家42代当主南部利祥の騎馬像の台座。その死を悼んだ人々の出資により銅像が造られたらしいのだが、太平洋戦争中の物資欠乏の影響で供出されてしまい、現在では台座だけが残されている。
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謎の台座
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岩手銀行
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アーケード
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| 本丸の周囲を一回りして盛岡城を後にする。岩手公園に沿って国道106号を直進。人通りが増えて少し走りにくくなってきた。中ノ橋を渡って中津川を越える。左前方に見える赤煉瓦のクラシカルな建造物は岩手銀行の中ノ橋支店。明治期(1911年)のルネサンス様式による建物で今でも普通に銀行として使われている。
ここで昼飯タイム。盛岡に来たときはできるだけ寄るようにしている洋食屋「みずの」。ランチのハンバーグ+エビフライが激ウマ。これだけで盛岡に来た意味があったと思うぞ。
次の目的地は盛岡八幡宮。このまま前進してもいいのだが、単純すぎて詰まらないので適当にショートカット。どこかの商店街のアーケードに紛れ込んでしまうが道がガラガラ。大丈夫なのかこの地域は。余計な心配を思わずしてしまう。
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盛岡八幡宮
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| 適当に走っている内に道に迷ってしまいしばし時間をロス。丹塗りの巨大な明神鳥居が見えてようやく場所を確認。盛岡八幡宮に到着である。が、参道を歩いていると左側に荘重な趣の黒塗りの神明鳥居を発見。奥に見えるのは岩手護国神社。岩手県の戦没者の霊を祀る。
そして参道の先にあるのが盛岡八幡宮。前九年の役(1062年)。源頼義、義家の東征に端を発する社で、その後盛岡の藩主となった南部氏の保護を受け大いに庶民の崇敬を集めたとされる。本殿がやたらに新しく見えるのは1997年の新築物件故。赤と金で非常にゴージャス。境内にはえびすや大黒の木造や十二支別の守護神社など摂社も多く神社好きにはなかなかたまらないスポットであった。
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護国神社
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十六羅漢
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八幡宮まで来たので更に足を伸ばす。参道前の道を進んで左の小公園が羅漢公園(すごいネーミングだ)。五智如来(大日/釈迦/多宝/阿弥陀/アシュク)と十六羅漢を併せた21体の石仏が公園の周囲に配置されているという不思議なスポット。21体の石仏に囲まれて遊ぶのはやはりしんどいのか子供一人中には居なかった。
江戸期に起きた飢饉による餓死者供養のため、盛岡市内にある祗陀寺の住職天然が発願。各方面より喜捨を求め末寺の宗龍寺に安置したもの。1837年に着工して完成したのが1849年だというから完成までなんと12年を要したことになる。当時としては一大イベントであったのだろう。宗龍寺は明治期に入り廃寺となり、更に後の大火で焼亡したため、燃えることの無かった石仏だけがこのような形で残っている。
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こっちも十六羅漢
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