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起床(8:00)。旅行時にしてはやや遅め。西鉄の薬院駅まで歩く。最寄り駅が薬院なのに、昨晩は中州川端からホテルまで歩いて移動という無謀をしでかしてしまい、道に迷いまくりひどい目に遭った。あー怖かった。やっぱり見知らぬ土地では距離感が狂う。薬院発(9:06)。西鉄福岡着(9:09)で、すかさず地下鉄の空港線に乗り換え。天神発(9:18)で、博多着(9:24)と順当に移動。
で、ここでいきなり反則技の新幹線乗車を試みてみる。青春18切符ユーザーにはあるまじき行為だが、少しでも寝て起きたかったので……。堕落とでも、金満とでも責めて下さい。はい。博多発(9:39)であっという間に小倉着(9:56)。在来線に乗るのが馬鹿馬鹿しくなる速さだ。山陽本線に乗り換えて小倉発(10:12)、再度関門海峡を越えると下関着(10:23)である。
本日の予定は下関、長府の観光。それでいて宿は萩に取ってあるので、下関駅には16:45までに戻ってこなくてはならない。正味6時間が観光に使える時間だ。まずは長府に向かうのだが、JRの長府駅は実際の長府の集落から離れているために、下関からバスで移動してしまった方が楽。下関の駅前はバスロータリーになっていて、機械化された案内システムが設置されていて旅行者にはありがたい。この時間帯なら1時間に10本以上は運行しているので便利だ。城下町長府バス停で下車(\350)。近くの観光案内所でガイドマップを入手。これは使えそうだ。
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壇具川
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仲哀天皇御殯斂地
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日頼寺本堂
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壇具川沿いに歩いて、まずは西の外れの日頼寺へ向かう。雰囲気のある土塀が続いていて昔ながらの景観がよく残されている。この寺はかつては極楽寺と呼ばれ天台宗に属していたが創建年は不明。慶長年間に毛利秀元が再興。毛利元就の法号「日頼洞春」にちなんで現在の名前に改称されている。
また、境内北には仲哀天皇の御殯斂地とされる遺跡が残されている。これは大和朝廷によって行われた熊襲討伐の際に没した仲哀天皇の遺体を、神宮皇后がこの地で仮埋葬したことによるもの。問題の塚は小暗い林の中にあって一人行くのはちょっと怖かった。
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石段
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忌宮神社
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続いて忌宮神社に向かう途中で旧西家長屋を発見。これはかつての長府藩馬廻役220石の西家の屋敷を移築したもの。壇具川を渡ると商店が増え賑やかになってきた。観光客らしき姿もちらほら。途中で雨が降ってきたのでやむを得ず近場の洋品店で安傘を購入。これはついてない。
忌宮神社の境内には京都の伏見稲荷から勧請した荒熊稲荷があり、まずはこちらに参拝。勝運、失せもの発見に霊験あらたかということらしい。
続いて本命の忌宮(いみのみや)神社へ。先ほど書いた、仲哀天皇の熊襲征伐の際、この地に豊浦宮が建造され七年間滞在したとされている。折しもこの時は、数方庭祭のただ中で、境内には巨大な大幟が林立し実に壮観であった。
※数方庭祭についてはこちらのサイトに詳しい。
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荒熊稲荷
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大幟
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菅家長屋門
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長府観光も後半戦へ。次は長府毛利邸へと向かう。忌宮神社周辺はちょっとした小径でも両側が石垣塀やら土塀になっている。路面もタイル舗装になっていて非常に風情があっていい感じ。しっとりとした城下町の佇まいである。
右手に菅家の長屋門を確認。菅家は藩祖秀元に招かれ、侍医兼侍講職を務めた格式の高い家柄。重厚感のある練塀が印象に残る。
突き当たりを左折して次の十字路を右へ行くと右側が長府毛利邸になる。長府藩は西の雄藩毛利家の支藩で5万石。毛利元就の四男毛利秀元が藩祖となっている。この毛利邸はかつての家老屋敷跡に、十四代当主元敏が明治期に建てた邸宅。内部は有料(\200)で見学可能。
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毛利家邸宅庭園
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長府毛利邸を出て右へ。そのまま道なりに進むと功山寺だ。1327年の創始。もともとは臨済宗の寺院で金山長福寺と称していた。毛利氏に攻められた大内義長はこの寺で自刃している。その後一時荒廃したが、1602年に毛利秀元により復興され曹洞宗の寺院となり、二代光広の時代に功山寺と改称されている。これは秀元の法号「智門寺殿功山玄誉大居士」に因む。本堂は純唐様建築で重層入母屋造。二重櫓造りの見事な山門は1773年に建立されたもの。
とはいえ、功山寺が最も世に知られているのは言うまでもなく高杉晋作挙兵の地としてであろう。1864年に長州藩内の守旧派(俗論派)へのクーデターがこの地で勃発している。挙兵時の兵は僅かに80名。藩内の反対派を一層した長州藩は、以後倒幕への道を邁進していくことになる。境内にはその高杉晋作の銅像がどーんと鎮座。いささか美化され過ぎの予感。
市立の長府博物館も併設されているのだが、残念ながら本日は休館日。また、境内の西側には万骨塔と呼ばれる慰霊塔があるが、これは1933年に建造されたもの。有名・無名の勤王の志士を祀っている。
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長府の小径
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功山寺山門
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高杉晋作の像
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万骨塔
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壇之浦古戦場址
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ひととおり長府観光を終えたので移動(実は乃木神社へ行くのを忘れていたんだが)。この路線は短い待ち時間ですぐバスが来るので有り難い。城下町長府のバス停から下関駅行きに乗って、御裳のバス停で下車(\310)。前方に関門橋が立ちはだかる。
周辺はみもすそ川公園となっていて、壇之浦古戦場址と記された石碑が建っている。対岸は九州だ。平家一門がこの地で滅亡したのは1185年。幕末から一気に700年も前の話になる。
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| 関門橋の下をくぐって国道9号沿いに進んでいく。幸い雨はあがってくれたが、その分蒸し暑くなるかと思ったが海からの風が心地よく思ったよりも快適。やがて右手前方に竜宮城をイメージして造られたとされる赤間神宮の堂々たる楼門が見えてくる。いろいろな神社を見てきたが、ここの南国ムード漂う派手なデザインに圧倒された。赤間神宮は壇之浦で入水した安徳天皇を祀る神社。社殿向かって左側には平家一門の墓や、耳成芳市の像も残されている。
赤間神宮に隣接するようにして建っているのが春帆楼。高級割烹旅館で、日清戦争の講和会議が開かれた場所。敷地内には日清講和記念館も設けられている。が、そろそろ空腹を覚え始めた筆者はめんどうなので素通り。
下関の市街に入ったようなので昼飯を摂ることにする。港側の唐戸市場で店を探すが夏休みシーズンということか、どこも凄まじい混みよう。その途中でうっかりザビエル上陸の地碑を発見。1550年のことらしい。とにかく腹が減っているのでサクっと通過。
結局、仕方なく立ち寄った唐戸町にあるカフェ&キッチン稟で遅めのランチを摂取。この店当たりかもしれない。安くて美味くて、しかも店内がカッコイイ。尾道、博多とイマイチ食べ物では満足出来なかっただけにこれはラッキー。
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赤間神宮
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春帆楼
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平家一門の墓
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ザビエル上陸の地
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山陽道起点
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亀山八幡宮
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| 昼飯が終わったところで観光再開。タイムリミットの16:45まで2時間強しか残っていない。急がなくては。
亀山八幡宮は859年創建の古社。宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられている。海を見下ろす高台に鎮座している。九州側への展望がいい。
門前には山陽道と刻まれた石柱があり、この地が大阪まで続く山陽道の起点であることが判る。
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旧秋田商会ビル
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旧下関イギリス領事館
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唐戸地区には明治、大正期の建築物がいくつも残されている。赤煉瓦の建物は1906年に建造された旧イギリス領事館。
その奥に見える洋館は旧秋田商会ビル。緑色の屋根を持つ尖塔が注目を集める。現在は観光情報センターとなっているが、二階より上は当時のままに保存されており無料で見学出来る。屋上の庭園には出られないが、塔は最上階まで登れるのでお奨めだ。大正時代の空気を仄かに感じることが出来る。
通りを隔てて向い側にある瀟洒な建物は下関南部(なべ)町郵便局。1900年に造られたもので、現役の郵便局舎としては国内最古を誇る。
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下関南部町郵便局
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ビル内の螺旋階段
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海峡ゆめタワー
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旧秋田商会ビルの見学が楽しくて思わぬ時間を取られてしまった。よってあとは下関駅に戻るだけ。海側に見える茶色い大きな建物は下関水族館海響館。
そいでもって、遠目に見える展望塔は海峡ゆめタワー。高さは143メートル。登りたかったけど残念(バカなので)。またの機会に是非。
下関駅が見えてきたかというところで、いきなりバケツの底をひっくりかえしたような大雨が襲来。マジですか。慌てて駅近くのデパートに避難(16:05)。なんとか時間には間に合ったようだ。
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海響館
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駅構内の売店で賞味期限ギリギリの駅弁を半値でゲット(\420)。更に近くのスタバでカフェラテをグランデで淹れてもらい、ペットボトルのお茶も二本購入。これからの汽車旅に備える。入線前から並ぶことが出来たので席も問題なく取れたのだが、ここで大問題が発生。ガンガン降り続く夕立のおかげで列車が運転見合わせに。
本来16:45発のこの便が発車したのは30分近く過ぎてから。しかも徐行運転だし。小串、長門市と乗り継いで東萩を目指す予定がかなり狂ってしまった。結局長門市18:55発の列車には乗れず、一本後の20:15発に乗車。最終にしなくて良かった。予定より遅れること一時間。ようやく東萩着(20:51)。
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