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今年はどこに行くか最後まで決めきれなくて、九州か北海道かでずっと悩んでいた。で、直前になって意外に経済的余力が無いことが判明。あまり遠隔地には行く余裕が無いので、10年振りに北陸方面へ足を伸ばしてみることにする。東京発(06:52)。以前に使わずに残しておいた東京-軽井沢間の新幹線回数券があるので軽井沢までは優雅に新幹線で移動。うっかりすると寝過ごして長野まで行ってしまいそうなので眠くても我慢。軽井沢着(08:14)。高所だけあってさすがに涼しい。
ここ数年軽井沢は何度も来ているので乗換も気が楽。貧乏旅行なので長野まではしなの鉄道で移動する。新幹線さえ開通しなければこの区間も信越本線だったわけで、青春18切符の適用区間だった。青春18切符は日に日に使える区間が減っている。ユーザーとしては哀しい限りである。軽井沢発(08:39)で、長野着(09:52)。
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しなの鉄道
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| 今後に備えて長野駅周辺で昼飯と飲み物の確保。信越本線で直江津まで向かう。入線してきたのは、幸いなことに特急車両を使った普通列車妙高1号。リクライニングシートでのんびり座っていけるのは有り難い。長野発(10:33)。夏場に加えて曇天ということもあってか、遠望が効かない。車窓の眺めはイマイチ。黒姫山すらまともに見えない。二本木駅のスイッチバックで、非地元民及び非鉄系な人々がざわめき始める。この駅はスイッチバック駅にしては、あまり山間という感じがしない。
直江津着(12:12)。本日一番の待ち時間。北陸本線の次の列車までは一時間以上ある。せめて三時間もあれば、春日山城の往復くらい出来たかもしれないが、少々中途半端な空き時間。ともあれ、街中の無駄歩きが趣味な筆者としてはこのような状況はあまり苦にならない筈。とりあえず駅の周りをうろうろしていると、微妙に既視感が。どうやら、10年前にも同じ場所を歩いていたらしい。進歩の無い人間である。直江津駅は以前訪れたときは丁度改装中で、今のようなこぎれいな近代的な駅舎では無かったのだ。
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妙高1号
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直江津駅
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クハ418
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富山駅
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直江津発(13:23)。二両編成。あまり見たことのないタイプの無骨なフォルム(クハ418)はやっぱり雪国仕様なのだろうか。窓ガラスがものすごい汚れでほとんど外が見えない。車内には地元の高校生な皆さんがたくさん。まんべんなく座席は埋まっている。時折右手に開ける日本海の眺めが美しい。この色は太平洋では出せない色だ。うつらうつらしながら、なんとなく時間経過。こういう無駄な時間の使い方が大事。終点の富山着(15:13)。
今日の宿泊地は高岡なのだが、富山港線を往復することにしたい。北陸地方は10年程前に一度訪れており、北陸本線は全て踏破しているのだが、沿線から出ている各種枝路線はまったくの手つかず。今回はこれらの路線の踏破が目的の一つとなっている。駅ビル内のスーパーで移動食を確保。1両編成の富山港線に乗り換える。富山発(16:14)。
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岩瀬浜駅
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古い街並み
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森家
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ワンマンの一両編成ながら車内はほぼ満員。立派に生活路線として機能しているようだ。神通川沿いに岩瀬浜駅までの8kmを20分かけて結ぶ。全9駅。終点までかなりの人数が乗っている。岩瀬浜着(16:34)。駅を出ると正面が岩瀬運河。右手は富山港でその先は日本海だ。このまま折り返すのも詰まらないので、富山駅方面に向けて数駅程歩いてみる。この辺りは江戸時代中期から明治にかけて北前船の寄港地として栄えていた。周囲には当時の豪商の屋敷が今でも残されている。県庁所在地として近代都市化されている富山市街にあって、この一角は雰囲気がかなり違う。森家屋敷は唯一内部を公開しているのだが、残念ながら本日は休館日。行き当たりばったりで観光しているとこのような情けないパターンにハマル。 |
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大広田駅
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東岩瀬駅
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北前船
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大広田着(17:15)。ひとしきり歩いて疲れたので、いい加減歩くのを止める。富山港線は基本的に全て無人駅。街中の駅であっても、駅員が居ないので地元の方々は好き勝手にいろいろな方向でホームに上がってくる。踏切脇の車道からいきなりホームを直登してくる人が多い。そんなことでいいのか。大広田発(17:27)で富山着(17:41)。 |
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高岡大仏
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高岡駅
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後ろから
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アーケード
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再び北陸本線に乗り換えて富山発(17:49)。夕刻にさしかかっているせいか、スーツ姿の通勤客の姿が目立つ。高岡着(18:17)。想像を超えて都会な街並みに衝撃を受ける(住んでる人ゴメン)。宿泊はその名も大仏旅館。高岡のシンボル高岡大仏の傍にある、昔ながらの旅館だ。修学旅行かなにかで使いそうなたたずまい。なんだかとても懐かしい雰囲気である。
高岡大仏は1745年に作られたのが始まり。1821年、1900年と二度の焼亡を経て今度は燃えない大仏をということで青銅での鋳造を行い1932年に完成したもの。高岡は鋳物の街として古くから知られており、青銅の大仏が出来たのもそのあたりにも理由がありそうだ。
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