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和倉温泉駅
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起床(7:00)。和倉温泉泊といいながらも、今回宿泊した宿には温泉は無い。予算の問題とはいえ侘しい。手っ取り早く朝飯を済ませると和倉温泉駅まで10分程の道のりをてくてく歩く。昨日とは打って変わって空は快晴。まだ午前中なのに日差しがきつい。駅に着くと関西方面からの行楽客がどっと構内に溢れていてなかなかの活況。特急車両を横目に見やりながら、のと鉄道のホームへ移動。
和倉温泉発(8:11)。まずはのと鉄道の終点の蛸島まで向かう。2005年3月でこの路線は廃線となることが決まっており、なんとかその前に乗っておこうというのが本日のテーマのひとつ。
車内はほぼ満席。海が見られるのではと、進行方向に向かって右側に座ったのが実は大失敗だった。東側からの直射日光がもろに入ってきて、とてもブラインド無しではいられない状態なのだ。自分だけなら趣味だから我慢も出来るが、他の乗客が多数同乗している中でそれをやりぬくのは相当な度胸が必要。結局、行程の過半を展望無し状態で過ごす。
穴水から先は一両編成での運行。ここまで来ても車内の人口密度は高い。夏の日差しに暖められてなんともいえない温い空気が車内を循環。気づくと眠りこけていた。昨日歩きすぎたのか、その反動があるのかもしれない。
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のと鉄道
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| 蛸島着(10:31)。それでも終着駅を前にして徐々に乗客が減っていき、蛸島までたどり着く頃に乗客の姿は数える程に。地元の老人数名と、中学生っぽいカップル。なんでこんなところに来たのかよくわからない中高年夫婦の旅行者が一組。
蛸島の駅舎は無骨な鉄筋コンクリート造り。クラシカルなスタイルの駅売店は枯淡の味わいで独特のな渋みを発していた。古い建物ならではの室内の暗さと夏の陽光とのコントラストでなかなかいい雰囲気。店先に並べられた原色の海水浴グッズが異彩を放っていた。
ちなみに次の目的地は曽々木なのだが、ここに行くバスは二つ前の珠洲から出ている。珠洲行きの列車は12:21まで出ないので。フツウの考え方ならば珠洲で降りておくべきところ。が、そこはやはり路線完乗こそ優先されるべき。ましてや翌年廃線になる路線ともなれば尚更だ(だよね>>鉄分濃い人たち)。
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蛸島駅
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珠洲へ向かう道
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ということで当然の事ながら蛸島-珠洲間は徒歩で移動する。海岸沿いの平坦な道を4キロ弱だからそれほどの距離ではない。蛸島の駅舎を出て数分も歩くと海が見えてくる。左側には港も見える。
周囲は無人。こんな炎天下の中を徒歩でうろうろしている人間はやはり珍しいのだろう。こんな暑さの下でも快晴の中、見知らぬ道を歩くのはやはり楽しい。
県道12号を珠洲に近づくつれて次第に車の交通量が増えてきた。のんびり歩いていると轢かれそうになるので要注意。
珠洲着(11:35)。曽々木行きのバスまでにはまだ小一時間ほど時間があるのだが、周囲には見事なまでに何も無し。喫茶店らしき店があるのだが営業時間外。いい加減、日陰に入りたくなったので駅舎の中で休ませてもらう。そろそろ腹減ってきたけど昼飯はどうしよう。
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珠洲市街
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蛸島の海
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珠洲駅
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| いい加減待ちくたびれた頃にようやくバス到着(12:24)。いい感じにくたびれた四列シートの前のり1ドアバスだ。驚くべき事にほぼ満席。地元のお年寄りが大半で、あとは中高生がちらほら。旅行者は自分くらい。ここから先は鉄道が無い地域だけに、バスは生活路線として欠かせないものなのだろう。
バスは珠洲の市街地を抜け国道249号を北へ。山中を走りぬけ大谷トンネルを抜ける。このトンネルを出て左手には平家の武将であった平時忠の墓があるらしいのだが、さすがに車中からは確認することが出来なかった。時忠は「平家にあらずんば人に非ず」の有名な言葉を残したとされる人物で、壇之浦での平家滅亡後も生き延びてこの地に配流され子孫を残している。
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曽々木
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窓岩
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曽々木の海
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| 大谷集落に入ったところでようやく海岸線に出る。大谷バス停ではかなりの乗客が降りてしまい、ここから先はのんびりと車窓を楽しむことが出来た。いくつかトンネルを抜けたところでようやく終点の曽々木口バス停に到着(13:20)。幸い数軒の食べ物屋が営業していたので、行動を始める前にまずは昼飯を摂取。刺身定食がメチャウマであった。
昼食後は腹ごなしを兼ねて海岸を散策。曽々木海岸は1500万年前の海底火山の噴火による後背地の隆起により形成されたもの。海食された流紋岩が延々2キロ続き、巨岩奇岩には事欠かない。もっとも有名なのが岩の中央部がくりぬかれてしまった窓岩。これはなかなかの迫力だった。この日は風が強かった。快晴のカンカン照り状態だったが強風のおかげで体感温度はそれほどでもない。
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曽々木集落
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下国時家へ
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茄子瓦
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修理中
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海岸部を後にして曽々木の集落へと向かう。町野川の右岸を山沿いに歩いていくと巨大な足場が組まれた謎の建造物らしきものが見えてくる。これは能登安徳合祀時國家(下時国家)。国指定の重要文化財。この先にある上時国家の分家だ。
江戸初期に建造された茅葺きの蒼々たる古民家らしいのだが、折悪しく保存修理工事中(2005年12月31日まで)。
それでも工事中の現場を案内付きで見学出来る(\250)ということなので入ってみることにした。危険防止のためヘルメットを被って内部へ。格子状に組み上げられた柱組の巨大さに驚く。平屋だというのにこの天井の高さは一体!
なんて衝撃を受けながらも密閉された室内の蒸し暑さに耐えかねて早々に退散。機会があれば修理後の姿を是非見てみたい。
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能登安徳合祀時國家
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上時国家
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揚羽蝶の定紋
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| 下時国家を出て200メートル程歩くと今度は本家の上時国家。先ほど書いた平時忠の子、時国を始祖とする家だ。この地域の豪農として、江戸期は大庄屋も務め名字帯刀を許された名家で現代に至るまで二十五代を数えている。
この屋敷は江戸末期に建造されたもので、加賀藩主前田斉奉が宿泊したという由緒と格式を持つ建造物。
こちらも内部は公開されていて見学することが出来る(\420)。襖に描かれた揚羽蝶の定紋は言うまでもなく平家の家紋だ。屋根の最高部は地上18メートル。内部から見上げた天井の高さの果てしなさに、冬場の暖房は大変だろうなと貧乏臭いこと思わず考えてしまった筆者。先ほどの下時国家も工事中でなければこのような感じだったのだろうか。
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内部
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庭園
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曽々木にはもう一つ、こちらも旧庄屋の家柄であった南家の屋敷があって、こちらは南惣美術館として公開されているのだが、少々遠いのと時間が無いのとで今回は残念ながらパス。とにかくバスの本数が少ないので曽々木には二時間半しか滞在出来ない。
微妙な時間が余ったので、上時国家の脇にある輪島市立民俗資料館へ(\150)。旧岩倉小学校の校舎を改築して運用している。奥能登地方の民具約4000点を収蔵。元々は学校であっただけに、どことなく郷愁を誘うスポット。駆け足で見てきてしまったのが惜しまれる。
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琵琶法師の像もあった
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民俗資料館
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| さすがに歩き疲れてきたので、少し時間が早いけどバスの待合室でダラダラしてみる。ここから本日の宿泊地である輪島へと向かう。
本数の少ない地方路線だと、果たしてホントにバスは来るのだろうかという不安がいつも心中をよぎったりもするのだが(自分だけ?)、さほど待たずにほぼ定刻通りに到着(15:56)。曽々木をあとにする。また来ること出来ると良いのだけれども。
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曽々木口
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水平線に見えるのが七ツ島
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旧輪島駅を再現
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輪島市街
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輪島まではバスで30分強の道のり。国道249号は海岸線をひた走り。遠目に小さく七ツ島が見える。輪島の海上20キロにある七つの無人島群。昭和40年代までは人が住んでいたらしい。有名な千枚田もあっさりとバスは通過。2000枚にもなるという棚田が見事だった。能登地方は平地が少ないため田圃といえは棚田になるらしい。
輪島着(16:30)。夏の一日はまだまだ長そうだがとりあえずは宿で休みたい。
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