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雌雄のイノシシ像
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起床(8:30)。ようやく最終日。いい加減七日も出歩いているとさすがに帰りたくなってくる。16:36の新幹線で帰るので観光出来る時間はMAXで8時間。実質使えるのは7時間弱ってところだろうか。
まずは宿近くの護王神社にとりあえず参拝。和気清麻呂とその姉広虫を祭神とする神社。変わっているのは狛犬のあるべき所に雌雄の猪像が置かれていること。これは道に迷っていた清麿呂が猪が道案内したという伝説に因むもの。
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護王神社拝殿
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| 烏丸通りを渡って蛤御門から京都御苑に入る。1864年に蛤御門の変(禁門の変)が起きた場所として名高い。御所を守る会津・薩摩藩と長州藩が抗争を繰り広げた。この頃はまだ薩摩と長州は仇敵同士だった。敗れた長州は京都から撤退。一時長州の勢力は大きく衰えることになる。
御所のまわりを一周。どうでもいいことながら、いーちゃんが澪標姉妹に襲われたのは御苑内の建礼門の前でのこと。ああ、写真撮っておけばよかった。 ※当時『ネコソギラジカル』はまだ出ていない)
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蛤御門
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京都御苑
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三条スタバ
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三条大橋
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丸太町通りに出て東へ。鴨川にぶち当たってからは河原を歩く。幸い昨日、一昨日に較べると暑さはそれほどでも無い。曇天で日が出ていないのが有り難い。湿度も東京並で助かった。
ぶらぶらと歩くと何度も来ている三条大橋が見えてくる。お馴染みの三条のスターバックスで朝飯。このスターバックスは眺めがいいので好きだ。京都に来たときは必ず寄っているんじゃないかな。
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瑞泉寺
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豊臣秀次墓所
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当時の墓石
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三条通りを渡って木屋町通りに入るとすぐ左に瑞泉寺が見える。これは豊臣秀次とその一族の菩提を弔うために建立された寺院。豊臣秀次は秀吉の姉の子として生まれ、後に養子となり関白にまで上り詰めた。しかし秀頼の誕生後は秀吉に疎まれ最後は高野山に送られ自害に追い込まれた(1595年)。三条の河原では秀次の妻子、側妾ら39名が連座させられ運命を共にしている。
処刑後の遺骸は河原に埋葬され塚が築かれていたらしいが、悪逆塚だとか畜生塚などと酷い呼ばれようだったらしい。そんな扱いのせいか塚はその後の河川の氾濫で荒廃。江戸期に入って角倉了以が高瀬川の開削中に当時の墓石を発見。1611年にこの地に場所を移して墓石を祀り供養塔を築いたのが瑞泉寺の縁起とされている。
角倉了以が発見したとされる当時の墓石を中心に秀次の供養塔があり、その周りを無数の石塔が囲んでいる。この石塔の一つ一つが三条河原で斬られた一族郎党を供養したものとなっている。賑やかな木屋町の中にあってこの一帯だけは静謐な空間となっていた。
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| 木屋町通りを南に向かう。高瀬川の流れが涼しげだ。この川は1611年に角倉了以が開削した運河でかつては京都市街への物資搬送に欠かせない重要な存在だった。二条のあたりから始まって十条まで鴨川に沿って続いている。
ちょっと幕末から話が逸れてしまったが、今日は幕末史跡メインでの観光が目的なのだ。この後は本来の目的地である壬生へ向かう。四条通りに出て阪急に乗り込む。
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木屋町界隈
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高瀬川
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