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阪急大宮駅
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京福嵐山線四条大宮駅
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壬生の街並み
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| 阪急大宮駅着。到着時間は不明。最終日ってことで気が抜けていたのかこの日は途中経過の時間記録を怠っていたのだった。いい加減で申し訳ない。
地上に出て向かい側にある京福嵐山線の四条大宮駅で新選組チケット(\1,000/既に販売を終了)を購入。これは嵐山線の乗車券と、この先にある八木邸の入場券がセットになったチケット。四条大宮の五差路から大宮通を南へ。最初の路地を右に入ると壬生の街並みに入っていく。
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山南敬助の墓
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光縁寺
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この辺りはちょっとした寺町になっていて、西方寺、法善寺と過ぎて右手三つ目の寺が最初の目的地光縁寺。江戸初期に創建された浄土宗の寺院(拝観料\100)。
新選組隊士の墓所として知られており、過去帳には山南敬介を初めとして28人の隊士の名が残されている。現存する墓は四基。
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光縁寺の参拝を終えて再び西方向に進む。壬生川通を渡ると急に人通りが多くなってきた。ひょっとしてと思っていると前川邸の前はけっこうな人だかり。さすが大河ドラマイヤーにわか新選組ファンが勢揃い(オレもオレも)。
玄関を入るといきなり新選組グッズ売り場(笑)。さすが京都。雰囲気もへったくれも無いなあ。ちなみに前川邸に入れるのはここまで。内部の見学は出来ない。
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前川邸入口
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前川邸の塀
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| 1863年に上洛した新選組が屯所を設けたのがこの壬生界隈。前川邸と後述する八木邸が二年余りの間、新選組の活動拠点となっていた。最前の山南敬助はこの前川邸にて腹を切らされている。
塀に沿って左側に回り込むと僅かな隙間から土蔵を垣間見ることが出来る。ここが土方歳三が浪士古高俊太郎を拷問した場所で。得られた情報を元に新選組が踏み込んだのがかの池田屋。こちらも非公開だが、ファン向けにあえてちょっとだけ見えるようにしてくれているのだろう。
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土蔵
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前川邸側面から
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新選組屯所遺蹟
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八木邸入口
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八木邸オリジナル根付
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で、次は八木邸なんだけど、なんだこの行列は。どうやら八木邸内に入るための行列らしい。行列整備のための警備員まで出てるよ。夏の京都は比較的どこに行っても空いているけどここはさすがに例外らしい。恐るべし大河効果。視聴率あまり良くない筈なんだけど。
行列嫌いの筆者としては速攻スルーして先を急いじゃうところではあるが、既に新選組チケットを購入済みとあっては仕方がない。おとなしく最後尾に並ぶことにする。ちなみに八木邸の入館料は\1,000。抹茶とお菓子付き。従って新選組チケットは嵐山線の乗車券200円分オトクということになる。待つこと30分強。ようやく順番が回ってきたぞ。
邸内では観光ガイドのオジサンによる解説が数分。定員一杯まで詰め込んでいるので体育座りしないと座れない程の狭さ。続いて当時の刀痕がそのままに残る芹沢鴨暗殺の間等を見学。梁の高さと室内の暗さが印象的。少々騒々しいのが難点とはいえ、築180年の日本建築の情趣はそれなりに感じることが出来た。八木邸(及び前川邸)が屯所とし使用されたのは1863年から1865年まで。肥大化を続ける新選組はその後西本願寺に屯所を移している。
最後は隣接している和菓子店鶴屋に案内されて抹茶とお菓子のサービス。相当数の観光客をもの凄い勢いで着席させていくオバサンたちの手際がスゴイ。お菓子は八木邸オリジナルの屯所餅なる物。ま、それなりに美味い。ついでにこれを買っていけということなのだろうけど、ひねくれモノなので当然買わない。
また、どうでもいいツッコミとして、八木邸オリジナル根付けが、沖田総司の分だけ萌え画像になっている件。確固たるビジュアルが残ってないから仕方ないとはいえ、近藤、土方と較べて違和感有りすぎ。
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壬生寺山門
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壬生寺本堂
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万灯
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壬生巡りのラストは壬生寺。律宗の別格本山で創建は奈良時代にまで遡るとされている。律宗とはあまり聞かないが、鑑真由来の中国系の宗派であるらしい。総本山は唐招提寺。毎年春と秋に催される壬生狂言は有名で、重要無形民俗文化財の指定を受けている。幕末には新選組が境内を馬術や砲術などの各種武術訓練の場として利用した。当時としては迷惑だったことだろう。 |
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近藤勇遺髪塔
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近藤勇之像
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芹沢鴨の墓
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河合耆三郎の墓
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| 壬生寺の境内には壬生塚がある。後世に遺族や生き残った新選組隊士によって建立された墓碑群だ。入場料(\100)を払って場内へ。ここで祀られているのは近藤勇や芹沢鴨をはじめとした十一名。「ああ新選組」の歌碑があり100円硬貨を入れると曲が流れる仕組みになっている。しかしこんな曲が始終流れていて供養になるのだろうか。
ちなみに実家が金持ちであったせいか、河合耆三郎の墓が一番立派なように見えるのは気のせいだろうか。河合は勘定方の人間であったが会計上の不正の咎で切腹させられている。新選組関連の作品では悲劇の人として必ず出てくる人物だ。
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嵐電四条大宮駅
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車折神社
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本殿
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| 大ラス。時間が余ったので嵐電に乗ることにした。って、嘘。最初から乗るつもりでなきゃ新選組チケットなんて買ってないってば。京福嵐山線は京都唯一の路面電車。細かく言うと四条大宮から嵐山へ向かうのが嵐山線で、帷子ノ辻から北野へ向かうのが北野線。西院(さい)、帷子ノ辻(かたびらのつじ)、鹿王院(ろくおういん)、と難読駅名のオンパレードが鉄心を揺さぶらずには居られない。とても人口260万人の大都市を走っているとは思えないレトロな車体もいい感じだよなあ。
ちなみに北野線は10ウン年前に乗ったことがあって、嵐山線の方は今回がたぶん初めて。本当なら終電の嵐山まで乗りたいところだけど時間の都合で完乗は諦めて途中の車折で下車。車折(くるまざき)ってのも普通読めないでしょというスゴイ地名。ここには有名な車折神社があるのだ。
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芸能神社
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境内
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車折駅
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| 車折神社は平安時代の1189年の創建。儒学者の清原頼業を祀ったもの。当初は桜の宮と呼ばれていたが、後に後嵯峨天皇の行幸の際にこの社の前で牛車の轅が折れ、これをきっかけに車折大明神の神号が下賜され、以後車折神社の名で呼ばれるようになったとされている。「くるまざき」という音からは西洋の刑罰である「車裂き」をついつい連想してしまい、陰惨な由来を想像していたのだが、案に相違してずいぶんと雅なネーミングだった。
車折神社そのものは商売繁盛、学業成就に霊験あらたかな社として知られているが、更にこの神社の名を知らしめているのが境内社の芸能神社だろう。芸能の神、天宇受売命を祀った社で芸能人の名前を印した玉垣が2,000本も立ち並ぶ光景は実に壮観だった。
ということで、ここいら辺でタイムリミット。嵐電で四条大宮まで戻り、四条烏丸まで歩いて地下鉄の烏丸線に乗り換え。京都駅で遅めの昼食を食べているうちに帰りの新幹線の時間が近づいてきた。やはり夏の京都は来るべきでは無かったと思いつつ新幹線ホームへ。でも、シーズン中の京都は激混みなんだよなあ。
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