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起床(8:30)。旅行も終盤ということでやや遅めの目覚め。明日までずっと長崎で宿も連泊なので気分的に余裕がある。今回宿泊したのはグラバー邸の近くにあるホテルマジェスティック。前の日の晩に携帯で予約したときに、割引率が高かったので選んでみたのだけれども、行ってみてビックリ。どうみても男が一人で泊まるホテルじゃねー。南欧風?のオシャレな内装の中で浮きまくる筆者なのだった。
ホテルのフロントで長崎電軌の一日乗車券を購入(\500)して出発(9:30)。長崎の市電は全区間共通で1回\100となっているので、5回乗れば元が取れる。長崎観光はこの路面電車で回るのが一番効率が良いのだ。大浦天主堂下から乗車して5番系統線に乗り築町で乗り換え。続いて1番系統線で長崎駅前にて下車する。
※余談ながら、長崎の市電は一回の乗車で\100と決まっていて、別系統線に乗り換えたら別途\100を支払わなくてはならない。しかしこの築町での1番系統⇔5番系統の乗り換え時のみ、下車時に乗り継ぎ券をもらうことでそのまま乗り継ぐことが出来る。これにより、長崎駅前からグラバー邸のある石橋まで\100で行くことが出来るので知っておくとちょっぴりオトク。
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近寄るとこんな感じ
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日本二十六聖人殉教碑
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長崎駅前で市電を降りて、まず最初に目指すのは日本二十六聖人殉教地。駅前の国道202号を渡って左へ進む、しばらく先の右手の急坂を上っていくと西坂公園への階段が見えてくる。駅前からいきなり坂道になるあたり、さすがは坂の町長崎である。公園内に入ると右手奥に日本二十六人聖人碑の巨大なレリーフが目に入る。 |
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聖フィリッポ教会
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| スペイン人宣教師6名と日本人の信徒20名がこの地で殉教を遂げたのは1597年のこと。この地が処刑の場に選ばれたのは、宣教師たちが死ぬのであればゴルゴダの丘に似たこの場所でと望んだことによる。この事件は後にヨーロッパに伝わり、1862年にローマ教皇により26人の殉教者たちは列聖され、日本二十六聖人と称されることになった。
レリーフは高さ5.88メートル、縦17メートルにもなる長大なもので、二十六聖人の像はほぼ等身大。今、まさに昇天せんとするところを刻み込んだものらしい。像の背後には双塔を持つ教会、聖フィリッポ教会が聳える。これは26聖人中最初の殉教者、フェリペ・デ・ヘススの名にちなんだ命名。1962年の建造。
また、この場所は浦上街道(時津街道)の起点でもある。教会の傍らには長崎浦上街道ここに始まるの碑が立つ。16世紀の後半に開かれた街道で、長崎から大村湾側の時津までを結ぶ。長さはおよそ12キロ。おおっ、その気になれば歩けちゃいそう。楽しそうな歴史ウォークが出来そうだけど、あまりに準備不足なのでこれはまた別の機会に……。
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浦上街道起点
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西浦上駅
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浦上駅
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住吉界隈
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| 一つ先の八千代町まで歩いてそこから赤迫まで市電で移動する。長崎駅前-赤迫間は1番系統と3番系統どちらに乗ってもオッケー。なんで赤迫まで行ったかというと、単に終点まで乗りたかったから。住吉まで引き返して、JRの西浦上駅をチェック。JRの駅をついついチェックしてしまうのは白ポスト探しがDNAの中に焼き込まれているから(笑)。続いて浦上駅までチェックするも白ポストは見つからず。やはり九州は白ポスト不毛の地なのか?
※実はそんなことなくて長崎にも白ポストはあった(Lemondさんが画像を提供してくれた)わけだが、今回は見つけられなかった。悔しい。
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山王神社二の鳥居
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倒壊した右半分
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この階段の上
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| 鉄欲を満たしたところでマジメに観光に励むことにする。浦上駅から国道206号を渡ってそのまま直進。突き当たって左へ進み歩くこと10分弱。やがて右手路地奥の階段上に山王神社の二の鳥居が確認出来る。 |
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別名一本柱鳥居である。1945年8月9日の原子爆弾投下時、左側の柱は吹き飛んだが、かろうじて右側部分は倒壊を免れたのだと云う。倒壊した右半分は傍らに横渡る形で保存されている。復興を遂げ、一見すると今風の小洒落た観光地に見える長崎だが、こうした戦禍の傷跡は所々に確認することが出来る。
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浦上天主堂
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山王神社の大楠
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鳥居の奥に進むとやがて山王神社に到着する。小さな社に反して、見事な樹勢を誇る二本の大楠がとても印象に残る。樹齢500年とも600年ともされる大楠だが、幹の半ばを失い被爆後しばらくは枯木同然であったらしい。
その後奇跡的な回復を遂げ現在に至る。旺盛な自然の復元力と共に、原爆投下の生き証人として長崎市の指定天然記念物とされている。
先ほどの道に戻って長崎大学病院の外周に沿って歩き、坂道をえっちら越えていくと浦上天主堂に到着。ロマネスク洋式の堂々たる偉容に圧倒される。1914年に建造されたが1945年の原爆投下で崩壊。現在の建物は1959年に再建されたもの。
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平和公園入口
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入ったところ
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長崎刑務所跡
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| 引き続いて本日のメインである平和公園へ。浦上天主堂から1キロちょいの道のり。そろそろ日が高くなってきたが、熊本の時ほど殺人的な陽射しではないのが救いだ。連泊のおかげで、荷物をホテルに置いておけることも大きいか。
正面の階段を上っていく。「願いのゾーン」と称される区画だ。中央にある平和の泉を各国から寄贈されたモニュメント群が取り囲む。その先には長崎刑務所浦上刑務支所跡。これは爆心に最も近かった建造物の一つで、職員、収監者134名がここで亡くなっている。
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そして一番奥には有名な平和祈念像も見える。これは北村西望作で原爆投下の10年後、1955年に完成。高さ10メートル弱。重さは30トンにも及ぶ巨大な青銅製の像だ。台座背面には作者の言葉が刻まれている。
こういった場にはやはり、何とも名状しがたい厳粛な雰囲気、緊張感が漂う。思わず襟を正したくなる特殊な場というものが、世の中には往々にして存在する。
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平和祈念像
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後ろから
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旧浦上天主堂遺壁
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原爆落下中心碑
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隣接する「祈りのゾーン」は原爆の落下地点であった場所。ここには原爆落下中心碑がある。1945年の8月9日。この上空500メートルで原子爆弾は炸裂した。碑の直下には殉難者名奉安箱が設置されている。なぜかこちらの方は人影もまばらだが、静かにしておいた方がいい場所なのかもしれない。
下の川を渡って、更にその先に進むと「学びのゾーン」となる。長崎原爆資料館(\200)はここにある。前回の訪問時にはここの玄関まで来て、時間切れで引き返した経緯がある。二度目の来訪でようやく念願がかなった。
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